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あのころ

最近、思ってもみなかった再会を果たしました。

わたしの仕事の一つとして、去年から語学学校で日本の小学校での英語指導者を目指す方に週に一度だけ講義をさせていただいているのですが、そのコースを今回とっている生徒さんの中に、なんと私の初任のときの教え子のお姉さんがいました。

初任のときのクラスは3年2組。そのお姉ちゃんのSちゃんは当時6年生。
大学出の新米教師のわたしが受け持ったクラスは元気いっぱいの3年生。この9・10歳頃と言えば、「ギャングエイジの時代」と呼ばれていて、仲間意識が強くなる時期でみんな徒党を組んでいろんなことをしたがります。
小学校時代の中で一番パワーみなぎる時期。
12年前の4月、その輝くわんぱく盛りの3年生21人を受け持つことになり、福岡から出てきたばかりの私はとても張り切っていました。
理想は「教師びんびん物語」の田原俊彦。
あんな風に子どもの話を親身になって聞いてあげ、熱い先生になろう!とやる気にみなぎっていました。
だけど、もちろん、そうはうまくいきませんでした。
ものわかりのいい、子どもと近い存在でいよう、という気持ちが裏目にでてしまったのか、だんだんと子どもはどこまでやっても大丈夫か、どこまでやれば怒られるか、子どものものさしで計ってくるようになりました。一生懸命やっても空回り。
毎月の研究授業、学校中の先生を前に、思うように授業がいかず、その日の反省会(という名の飲み会)では、焼き鳥屋さんで毎回大泣き。小田原のお父さん、お母さんたち(先輩先生方)になぐさめてもらい続けました。
だんだんと好き勝手になっていく子どもたち。
一生懸命やっても子どもは思うように動いてくれない。どうしたらいいんだろう!?
休み時間に友達とけんかしてくやしかったといって、授業前に突然家に帰った子(→学校中を探しまわりました・・・)、
クラスの子同士で机を投げ飛ばしながらけんか(→結果、机が一つ壊れました・・・)、
学年主任の先生や去年の担任の先生、校長、教頭、教務、その他いろんな先生に相談し、もがく毎日。
毎週日曜の夜、一人で「サザエさん」を見終わると、心臓が痛み始めます。まさに“サザエさん症候群”。どうしてわたしは教師になりたかったんだろう・・・と何度も考えました。こんなはずじゃなかったんだけどな・・・
そして、弟のクラスの様子をいつも見に来て、わたしより上手にその3年生の子たちをまとめてくれたのがSちゃんでした。頼もしい存在でした。
その一年があったおかげで、いろんなことがわかりました。

次の年は1年生の担任をまかせてくれた校長。
そこで同学年を組んだ主任の先生に手取り足取りいろんな教育技術を教えていただき、やっと「先生って、教えるって、なんて楽しいんだろう!」と素直に思えることができました。
そして、初任のときのわたしの愚かさ、未熟さに初めて気がつきました。
子どもはあれじゃ動かなかった。田原俊彦はやっぱりドラマの中だからだった。
楽しいこととけじめをつけること、あめとむち(というとおおげさだけど)、甘辛をきちんと使い分けなければいけなかった。と。。

その小学校に4年勤務し、初任の頃の教え子たちが小学校を巣立っていくのを見届けて隣町の大規模校に移動となりました。
でも、ずっとその子たちに申し訳なかったのです。
あんなはちゃめちゃな一年間でごめんね、何もわかっていなくてごめんね、とずっと思い続けていました。

それからアメリカ、ニュージーと移動を続け、その頃の教え子とは連絡が取れずにいました。
ときどきふっとどうしてるかな・・・と思ったりしていました。

そんなとき、まさに奇跡的に、それもオークランドで出会えたのです。
そのSちゃんの弟、教え子のEくんも先月からオークランドに来ていると教えてくれたSちゃん。
そして先週、講義に連れてきてくれました。
私の中では8歳のままで止まっていたEくんは、立派な20歳の青年になっていました。
会った瞬間、何も変わっていないEくんの顔を見たら泣けてきて、思わずハグしてしまいました。
そして、一気にその頃の子どもたち(今は立派な成人ですね、)の名前が口から出てきました。
「Kくんはどうしてる?」「Mちゃんは仙台の大学に行ってるの?」といろいろみんなの近況を聞き、安心しました。
「先生、結婚して子どもさんがいるって!?それはおめでとう」と言ってくれたEくん。何だか照れくさかったです。
そして、最後に「ごめんね、ほんと、3年生のとき、はちゃめちゃやったでしょう。。。」というと、
いや、すっごく楽しかったよ。秘密基地作ったり、いつも遊びだったじゃん。先生忘れるわけないじゃん!あんなに最後まで一生懸命手ぇふってくれる人いないよ!(→なんのことだかよくわからんが・・・)と、思ってもみなかった言葉。これでまた泣けてきました。
何だかわけわからず無我夢中でやっていたことは、結果はどうであれ、子どもたちにとって何かのプラスにはなっていたのかな、と思えると、自責の念も少しだけほぐれました。
一気に12年の時間を超えて、タイムスリップしてしまったような気がしたひととき。
私はあの頃と何も変わっていない気がしていましたが、8歳だったあの子たちがこんなに立派な成人になったんだ・・・と思うと不思議な気持ちでいっぱいです。

こんな偶然の再会がまさかオークランドでできるなんて思ってもみませんでした。
縁があれば、人は必ずまた会える。そう強く感じました。
今度の日曜日、Eくんとお姉ちゃんのSちゃんがわが家に遊びにきてくれます。

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そしてこのタームから、補習校にて土曜日に加えて平日のコースにも約4年ぶりに復帰しました。
凛と琉生のために、平日は週2日のみの出勤としていただきました。
そのうちの一日はタツが休みの日なので、二人は夜寝るまでタツと過ごしています。
先週から始まったこのルーティーン。水曜日だけは私たち二人とも出勤となるので、午後2時半頃から7時前までは、わが家でベビーシッターさんに面倒を見ていただいていますが、このベビーシッターさんはお子さん二人を立派に育て上げた大ベテランの方。何の心配もなく頼れる方です。
凛も琉生もすぐになついてとても楽しい一日を過ごしているようで、本当にありがたいです。

わたしも久しぶりの学校での仕事に張り切っています。
やっぱりわたしは子どもたちと一緒に過ごすことが楽しいんだな、と実感する日々です。
授業で笑う子どもたちの顔が見れるだけでわたしもとてもワクワクしてきます。
そして、ここに暮らす子どもたちに日本を身近に感じ、日本語の学習を楽しんでやってもらいたい、という一心です。

教師が続けられることに感謝する毎日。

12年前、何もわからないただの若造のわたしを先生と呼んでくれて、本当にありがとう。
何も先生らしいことがしてあげられなくてごめんね。
今があるのは、あの頃一緒に毎日過ごしてくれたEくんたちがいてくれたからです。
どうもありがとう。

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by DaiyaAO | 2009-07-29 21:23 | わたしのこと
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